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道ゆき花の歌 肆 円

  • 執筆者の写真: みうらさここ
    みうらさここ
  • 2022年5月1日
  • 読了時間: 13分

更新日:2023年9月11日

物心ついた時には、回右衛門は闇の中にいた。

正面の柵以外を壁で囲まれた座敷に、寝るための布団と机、排泄をするための蓋付きの桶。光は灯籠の灯りだけ。

そこに回右衛門と、老いた従者が1人いた。

従者は、コンと名乗った。側にいて世話をしたり、文字を教えたりしてくれた。

コンが運んでくれる書物を、瓦版から物語、帳簿や武伝まで何でも、ひたすら読み込んでいた。

たまに綺麗な着物を着た子どもが覗きにくる以外は、特に人に会うこともなかった。

ある日、だんだんと地を踏みつけるような音を立てて大柄な男が現れた。

従者が頭を地につけたので、高い身分であることは間違いなかった。

こちらを見下ろすようにして、話し始める。

「今日、村の男が導火線に火をつけた爆竹を身にくくりつけて門に走ってきたらしい」

村。田畑を耕し、作物を領主に納めることで生活している農民が住む場所。

その知識を引っ張り出し、はて、と思った。

「最近は日照りが続いていると瓦版で読んだ。そんな所で植物を育てている人が、こんな所まで来られるものなの?」

はっはっはっ、と笑って男はこちらに近づく。

「座敷牢の犬が知識をつけたか。愉快だな。

だが、その通り。何者かが手引きをしたはずだが、その者の顔が潰れているため、なかなか足取りを追えないでいる」

「火薬だってただの村人が手に入れるには苦労するだろうしね。

ただ問題は、なぜその男がそんな行動に出たか、という所だ」

ほほう、と男は顎を撫で、「続けよ」と言った。

お前の許可を取らずとも喉は鳴る、と思いながら回右衛門は再び口を開く。

「死にたいだけならどこかで腹を切ればいい。自分で舌を切ればいい。締め切った部屋で炭でも燃やせばいい。

でもその人は、この家を巻き込んだ。

人の命が散るということは、誰かに強い衝撃を与える。

何かを誰かに伝えたくて、その人はそんな行動に出たんだろうね。例えば」

回右衛門は柵の間から指を突き出す。

「日照り続きだっていうのにあんたが金や食物を取り貯めて村が飢えている、とかね」

「コン。こんなに口が回るような奴に育てろと言った覚えはないが」

「申し訳ございません」

コンは、地面に頭を擦り付けた。

「口が回るんじゃないと思うよ。あんたより頭が回るんじゃない?

コン爺の態度からして、あんたはここの家の長なんだろう。そんな風には見えないが」

「回右衛門様!」

諌めるコンを押し退け、回右衛門は頭を柵に押しつける。

「帳簿を見るにあんたは金の回し方をまるで分かってないみたいだ。金は天下の回り物。使い道を誤ればその円はぶつりと途絶えてしまうと思うよ。

よかったら、僕が帳簿に赤墨を入れてあげようか。元の数字は1つも残らないと思うけれど」

「面白い奴に育ったな、回右衛門」

男は柵から一歩退き、にやにやと笑った。

まるで相手にしていないのがわかって、回右衛門は男に背中を向けた。

時間の無駄だ。

「どちらにせよ家督を継ぐのは長男の角左衛門だ。お前は一生ここで過ごすことになる」

「どっちでもいいよ、そんなこと」

僕は、空が見てみたいだけなんだ。

青という色をしているらしい。

コンが絵の具で表現してくれたが、灯籠の灯りではいまひとつよく分からなかった。

青い空が見たいだけ。

「初めましてだな。弟よ」

当主の毒殺の提案をされた時も、特にこれといって気は引かれなかった。

暴力的な悪手だと思った。

ただ青い空は見てみたい。

事が終わったら、僕を解放すること。

それだけで、僕は兄の提案に頷いた。

最近座敷牢を訪れた男が父親だということも、その時初めて知った。

そして、僕は従者の運ぶ茶に気づかれないように毒を含ませ、父親の苦しむ声が聞こえたと同時に、コンと屋敷を後にした。

座敷牢の戸は、きいきいと恨めしげに鳴っていた。

「これからどういたしましょう、回右衛門様」

「もうその名前で呼ばないでほしいな、コン爺」

回右衛門は、いや、1人の少年は、晴れやかな顔をして言った。

「僕は円。あの男よりも上手に物事の円を紡いでやる」

屋敷から二人を追ってきた追手と戦ってコンが傷を負う、半刻前のことだった。


屋敷に向かう日の前夜、ナツクがそろそろと円の寝床に近づいてきた。

「円は、屋敷に戻ったら何をするの」

「とりあえず、兄の出方次第かなぁ。僕はもう、捕まえて閉じ込められるのはごめんだからね」

そうだよね、とナツクは頷く。

「ナツクこそ、なんで屋敷に着いてくるなんて言ったの。関係ないでしょ。

そもそも僕、人殺しだよ?」

「あの夜、コンさんを助けようと必死に動く円は、とても人を殺すような風には見えなかった。

父が亡くなる前に言われたんだ。お前も一緒に来るかって。

どこにいくか分からなかったけど、私は畑を放っておけないなと思って首を横に振った。

そしたら」

そしたら、と言ってナツクはしばらく黙り込んだ。

円は急かさず、言葉を待つ。

「…そしたら、翌日お腹に黒い筒たくさん巻きつけて、

『俺がみんなを助けるんだ』

なんて言ってどこかへ行って、それから戻ってこない。

どこかへ行くかって言われた時、私が一緒に行くって言ってたら父さんが変になる事もなかったのかもしれない。

私も人殺しみたいなものだよ」

ナツクの声が冷えていくのを、円はじっと聞いていた。

そして父に聞いた、身に爆竹を巻きつけて東桜家の門に向かって走った男の話を思い出し、唇を噛んだ。

「生活のことは、私が教えたね」

「うん。全部教えてくれた」

「私も畑のこと以外、何も知らなかった。師匠が来るまで何もできなかった。生の野菜を何でも洗ってかじって生きていた。馬鹿みたいでしょ」

そんなことはないと思った。

自分の手足で生きてきただけ、円より逞しいというものだ。

「だから円に教えてるうちに、昔の自分を思い出したんだ。

ああ、自分もこういう時があったなぁ、なんて。だから」

ナツクは円の手をしっかりと握った。

「今度は私の番なんだと思った。それだけ」

しばらくしてすうすうと寝息を立て始めたナツクの手を、円はそっと離した。

「おい」

まとめた荷物を手に外に出ると、鹿乃目が腕を組んで小屋の外に寄りかかっていた。

「あいつはお前に甘いんだよ。お前が黙って出ていったら様子が気になって後を追うくらいには甘いんだよ。

そんな事になったら、ことさらに面倒だろうが」

「いや、僕がこの家にこれ以上1秒でも長くいる方が面倒なことになると思いますよ」

「めんどくさいガキだな」

鹿乃目はぺっと足元に唾を吐き捨てる。

「大体、あなたの育て方がまっすぐだったからあんな澄んだ心を持った人に育ったんでしょう。

元を辿れば鹿乃目さんのせいですよ」

「なんだそりゃ。褒めてんのか責めてんのか」

「どっちもです」

あれだけ澄んだ目をしていなかったら。

嵐の夜に戸を開けて怪我人を助けるお人好しでなかったら。

炊事も洗濯も何もできない自分に何も聞かずに一から教えてくれる優しい人でなかったら。

青空の下で笑う笑顔があれだけ綺麗じゃなかったら。

顔を見られた時点で、すぐにでも殺して地に埋めていたのに。

なんでか髪をそっと上げる手が優しくて。

顔に触れた手があたたかくて。

こんなにも離れ難くなってしまったのだ。

「恨みますよ、鹿乃目さん」

「別に全部が俺のせいって訳でもねえんだよ」

鹿乃目はナツクの小さな頃を思い出した。

たしかに目は人形のようだったが、人を傷つけるような事はしなかった。

物を盗むこともしない。

自分の運命を嘆くこともしない。

ただ黙々と、枯れかけた田畑を手入れしていた。

次に芽吹く命を紡ぐために。

「元々そういう奴なんだろ」

そんな姿にはっとしたのは、他でもない鹿乃目自身だった。

ナツクと暮らすうちに、鹿乃目は悪戯に道場に押しかけて強者を蹂躙するのをやめた。

農作業をして、空き時間でナツクに剣を教え、洗濯をして、体を洗って、共に飯を作り、食べる。

『かのめ!』

怒った顔。

泣いた顔。

照れた顔。

笑った顔。

2人で紡いだ日々が、どれだけのことを鹿乃目に与えてくれたか分からない。

ある程度身の回りのことが出来るようになってからは旅に出たりなんだりしているが、帰る場所は変わらずこの小屋なのだ。

「お前の気持ちは少しはわかる」

きっと、自分のことを全部終わらせて。

「またここに帰ってきたいんだろう」

ナツクの待つ家に。

「そうですよ。だから、見逃してくれませんか」

「それは出来ねぇ。

あいつ、ずっと村にいるから世の中に疎いんだよ。放っておけば田畑のことばかりでな。

ちょっとは外に出て色々見た方がいい。

町に連れて行ってやってくれ。

でもな」

鹿乃目はじろりと睨めつけて言う。

「あいつの指一本でも落としてみろ、お前の首なんぞ一瞬で落としてやる」

「あんたナツクに旅させたいのか僕の事情に巻き込ませたくないのかどっちだよ」

円は眉根を寄せて鹿乃目を見た。

「どっちもだよこの野郎。でもあいつはこんな理由でもなければ田畑から離れねえだろ。いい機会なんだよ。

めんどくせぇな。あいつが着いてくっつって師匠の俺が連れてけって言ってんだよ。

勝手に一人で行こうとしてんじゃねぇ腹立つ」

「鹿乃目さんって時々子どもみたいに強欲に駄々こねますよね」

「うるせぇ」

鹿乃目はけっと拗ねたように足元の石を蹴っ飛ばした。

「どうせ俺にできるのは留守番と田畑の手入れくらいだよ」

「あれ。あなたにだって、出来ることはありますよ」

円はにっこり笑った。

鹿乃目はその顔を見て、少し前の自分の発言を全て取り消してやりたくなった。


「あんた達が鹿乃目さんが文で伝えてくれた子達かい?」

町の一角にそれはある。

花街。

座敷から身目麗しい女性がひらひらと手を振る中を歩いてきたナツクと円と美芙由は、目の前の一際綺麗な女性に頭を下げた。

香鈴というらしい。

「お世話になります」

「入って入って。

あの人気が向いた時にしか来てくれないから。こっちも気を引くのに大変なのよ」

美芙由は東桜家に通じる者であれば顔が割れているため、笠を深く被って男装をしている。

ナツクはいつも通りの格好だ。街には野菜や魚を売りに来る行商人もいるので、特に目立つこともないだろうとのことだった。

「やっぱり師匠は面食いだ」

ナツクは、まるで父親の愛人を見るかのような目で香鈴を複雑そうに見ていた。

香鈴は3人に、部屋を一部屋と夕食を都合してくれた。

「明後日の朝出発するのよね?

食事は朝と夕に部屋に持って来させるから、明日は外に行ってもいいけど夕刻までには戻ってちょうだい」

「わかりました」

「あなたがナツクちゃん?」

周りを見回してぼうっとしていると、香鈴に顔を覗き込まれていた。

「わっ。あっ、はい!そうです」

「あの人何かというと『弟子の家に帰る』って言って長居してくれないのよ。

泣いた女は星の数。その重い責任、その体でしぃっかり取ってもらうわよ」

ふっふっふ、と笑いながら自分に手を伸ばす香鈴を見ながら、ナツクはどんな顔をしていいのか図りかねていた。

身包み剥がされ、熱い湯に浸され、体をごしごしと洗われる。

石鹸というものを使って擦って洗うと肌はこんなに白くなるんだなぁと感動しながら待っていると、鋏を持った男の人が来た。

「ほれお嬢さん、髪を切ります。そこに座って」

ちょきちょきとリズム良く耳元で鳴る音を聞きながら、いつもは帰って来ると不器用ながら鹿乃目が髪を切ってくれるのを思い出した。

いつも仕上がりはガタガタなのだが、ナツクはそれが気に入っている。

「はい!町娘一丁出来上がりー」

円と美芙由が感嘆の声を上げる。

寝る前だから格好こそ浴衣だったものの、そこには町を歩いても何ら遜色ない町娘の姿があった。

「ナツクさん、女装までお似合いとは…!やはり人の器が違うのだわ」

美芙由は相変わらずナツクが少年だと勘違いをしている。

「何か…落ち着かない…誰か私に鎌か鍬を持たせて…しなっとした手拭いを渡して…」

一方ナツクはというと、早くも村を離れた禁断症状が出始めていた。

「明日は町の見物をして明後日は東桜家に行く予定になってるから、しばらく村には戻れないよ」

「ぐぅぅ…」

落ち着かずにうろうろするナツクの手を円は掴み、ふかふかの布団の中に引っ張り込んだ。

「ほら、ふかふかの布団だよー」

「ふかふか…」

「ぬくぬくのふわふわだよー」

「ふわふわ…」

「あれ、雲の上みたいだ。こんなとこで早く眠らないなんて損だよ、ナツク」

そのまま寝入ったナツクを布団の中に残し、円は美芙由と明日の予定を組むことにした。

「残念ながら僕も町の様子は地図や瓦版でしか見たことがない。君も屋敷からあまり出た事はないんだろう?」

「町に足を踏み入れたことはありませんね…どうしたものか」

美芙由はううむ、と考え込んだ。

その様子を見ながら、円は苦笑いした。

まさかあの座敷牢を時々覗いていた女の子と自分が、領地の村で暮らす一人の少女と一緒に町歩きをする日が来るとは。

「香鈴さんに案内役でも頼もうか。幸い彼女は鹿乃目のためならある程度のことはしてくれる。

明日は楽しもう」

円が言うと、美芙由は心から嬉しそうに笑って、

「はい!」

と言った。


「あれが平家、あの籠持ってるのは魚屋だ。」

案内役の男に連れられて、3人は目を輝かせながら町を見物した。

香鈴は、田舎の親戚の子どもが遊びに来たと説明したらしい。男は親切に様々な町のことを教えてくれた。

「あっちには市場がある。行ってみるか」

「市場?」

「自由に物を売り買いするところだよ、ナツク。お金と物だったり、物と物を交換するんだ」

「お、坊主。よく知ってるな」

わしわしと髪を撫でられた円は、「これが『撫でられる』か…悪い気はしないな」と呟きながら体験した情報を頭に叩き込んでいた。

「あの桜紋ののぼりのついた屋台は、東桜家と縁のあるところだ」

その言葉に、美芙由はびくりと身を震わせた。

笠をより深く被り直す。

「随分な数あるんですね」

ナツクはあたりを見渡した。

桜紋ののぼりは大小差はあるものの、あちらこちらに立っている。

「そうだな、今や町の商いに東桜家に縁がある店がないのは考えられないからなぁ。香鈴がいるうちの店も、今は東桜家が守ってくれてるから安全に商いができてるんだよ」

「今は?」

あー、と男は頭をかきながら小声で言う。

「前の当主様は民から搾り取るしか脳のない男でね。うちの大旦那もほとほと困っていたよ。これじゃ回るもんも回せないって。

今の当主様は民の生活を第一に考えてくださってる。

前の当主が急に亡くなった時は、飢えた民に祟り殺されたんじゃないかって噂も出回ったくらいだ」

それを聞いたナツクは、「へえ、そうなんだ」と相槌を打ちながら円を横目に見た。

円は桜紋ののぼりを、じっと見つめていた。

「ほら、これ。香鈴さんが団子食わせてやれってさ」

「団子?」

ナツクと円は首を捻った。

白くて丸い形をしたものに、何かとろりとしたものがかかっている。

美芙由はまあ、と手を合わせた。

「いただきます」

一口齧ると、もちもちとした食感と共にたれの塩みと甘さが舌に絡まる。

「うわぁ」

「美味いだろ」

男はにこにこと笑って、自分も団子を口に入れた。

優しい人なのだろう。

ナツクは男に笑いかけた。

「とっても美味しい。ありがとう」

男はその笑顔を見て、うつむいて頬をかいた。

「?」

ナツクは不思議そうに男の顔を覗き込む。

「つ、次はあっちだ!」

男は市場の別の屋台に指を差すと、また別の食べ物を3人に与えた。

香鈴に渡された袋ではなく自分の懐から出した金で買っているから、自分の意思で買ってやりたかったのだろう。

それを貰って、また笑顔を浮かべるナツク。

その顔を見て満足そうな男と美芙由。

渡された食べ物の礼を言いながらじいっとその様子を観察すると、円は自分の中の仮説に太鼓判を押した。

ナツクの笑顔には何か特別な力がある。

それを見ると円や鹿乃目のような捻くれた心を持った人間でさえ、心の折り目を正されてしまう。

何故だろう。

「楽しいね、円」

にこにこと笑いながら手を差し伸べるナツクを見て、まあいいかと考えを放棄して円は歩き出した。


「苦労をかけるな。コン」

角左衛門は目の前に跪いている従者に言った。

弟を座敷牢に閉じ込めじわじわとなぶり殺すという父の意見に反対して、回右衛門の世話をさせていた者だ。

村に着いてからの物事は全て文を書かせて把握している。

「いえ。他でもない貴方様の頼み事でしたら何でもいたします」

「しかし、回右衛門が村で過ごした家の者に関しては全く情報を与えなかったな。

どこの誰だ。我が弟の荒みきった心を穏やかにしたのは」

「はて。私も老いぼれですからな。最近は記憶もあったりなかったりという有り様で」

コンは首を捻った。わかりやすくとぼけている。

「まあいい」

角左衛門は眉根を寄せて言った。

「これで、全ての決着をつける」




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