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道ゆき花の歌 参 美芙由

  • 執筆者の写真: みうらさここ
    みうらさここ
  • 2022年5月1日
  • 読了時間: 11分

更新日:2023年9月11日

「本日のお召し物は季節の花をあしらった上物です」

「本日の晩御飯は、近海で取れた新鮮な鯛を焼いたものです」

「本日いらっしゃる客人は、お父様と縁が深くいらっしゃって」

いつも、人に決められた物を当たり前のように享受していた。

安心で安全で、品のいい物たち。

そうでない物は淘汰され、目の見えないところに追いやられる。

それでいいと思っていた。

東桜家の座敷牢にいる子どもを見た時も、それは変わらなかった。

伸びきった髪。暗い部屋。お付きの者。

ただ生きるには時間が有り余るのか、その子どもは来る日も来る日も書物を読み漁っていた。

それは一見、退屈な日常なのかもしれない。

だが、外に行けば想像もできないような危険がたくさんある。

ここにいて言うことを聞いていれば、守ってもらえる。

平穏を望むのであれば、ここにいるのが一番なのだ。

それに、この子どもの人生に比べたら私はまだ良い方だ。

それが揺らいだのは、

東桜家当主が暗殺され、座敷牢にいた子どもの行方が分からないという内密の知らせを、父から直々に聞いた時だった。

あの子はその足で牢の外に出て、何を思っただろう。

牢の中にはない光や風をその身で感じながら、何を見つめ、何を聞いたのだろう。

美芙由はこの場所に囚われ続ける己が、ひどく矮小なもののように思えた。


老丸が警告するように頭上を旋回している。

それは分かっている。

分かっているのだが。

「もう…限界…」

普段籠に乗って移動する美芙由の足は、とっくの昔に限界を超えていた。

なんだ、あの急斜面の坂は。

なんだ、あの砂利と岩だらけの道は。

なんだ、あの大きな獣たちは。

人目を避けるためと自分で選んだ道だったが、それにしてもひどい。

「生き物の歩く道じゃないわ…」

美芙由が、もはやここまでかと思って顔を伏せたその時。

「大丈夫?」

霞んだ視界の中に、人の足が見えた。

藁で編んだ草履に、土で汚れた足裏。

声の様子からして、少年だろう。

まずい。

村人に見られた。

そうは思っても、体は言うことをきかない。

「その様子じゃ、あの道を来たの。岩場がちょっと大変だよね」

ちょっとどころではない。本当に死ぬかと思った。そう思いながら、美芙由は重い瞼を閉じた。

誰かに、おぶわれている。

ゆっくりとした歩みと背中のぬくもりが、まどろみを誘う。

母が生きていた頃は、よくこうしてくっついていたものだ。

母の立場も分からず。

自分の置かれた場所も知らず。

自分の性別が母にどんな影響を及ぼすか、

父がどうして母を放って他の女に構うのか、分からなかったあの頃。

それでも私に優しくいてくれた母は、どれだけの涙を飲んであの狭い世界で生きていたことだろう。

「かあさま…」

誰かの鼻歌が止んだ。

そのまま一度背負い直され、また鼻歌を歌いながら、誰かはゆっくりと歩き出した。


目を覚ますと、端正な顔をした男が顔を覗き込んでいた。

「ひっ」

屋敷で会う男といえば、父と籠の持ち手くらいだ。

美芙由は思わず、そばに置いてあった笠でその顔を叩く。

「いてっ」

鼻に当たったのか、男が顔を押さえてうずくまる。

「師匠、ついにそんな若い女の子まで…」

その声を聞いて、はっと顔を上げる。

先程声をかけて、背負って運んでくれた少年だ。

その後ろに隠れ、着物の背中をぎゅっと握る。

「何したんですか」

「何って、綺麗な顔してるもんだから」

「襲ったんですか」

「人をけだものみたいに…じゃあ聞くがな。お前は上等な美しい生菓子がそこにあったら覗き込まんのか」

「覗き込みません。真剣にどうやったら腹の中に入れられるのか、ない頭を捻ります」

「ある意味俺より危ねぇじゃねぇか」

どうやら2人は師弟のようだ。

ほっと息をつき、美芙由は少年の背中からちらりと顔を出した。

「すみません。旅の途中で行き倒れてしまい、この少年に運んでいただきました」

「少年!?」

あっはっはっはっ、と笑う男は少年の頭をぐりぐりと撫でつける。

「お前、ふっ、せいぜい頑張れよ、くくっ」

「何をですか!何をですか…!」

ぎりぎりと歯軋りをした後、少年はこちらを振り返ってにこりと笑った。

「私はナツク。こっちは師匠の鹿乃目。この小屋で田畑を耕しながら生活しています。あなたは?」

美芙由は少し迷ってから、フユ、とだけ言った。

「フユか。素敵な名前ですね。少し狭いですけど、疲れが取れるまで好きなだけ休んでいってください」

この少年は行き倒れの自分を助けてくれただけでなく、好きなだけ休んでいけと言ってくれている。

美芙由は、じっとその顔を見つめた。

あっさりしているが、優しい顔をしている。

「俺が女に振られたのは生まれて初めてだな」

鹿乃目はつぶやいて、頭の後ろをぽりぽりとかいた。

ナツクはそんな師匠を見て、べえ、と舌を出している。

「ところで、どんな旅をしているんですか?」

「人を探しているんです。髪が長い子どもを、見ませんでしたか。歳は、私とあまり変わらないくらいです」

ナツクは鹿乃目を見て、

「髪の長さはこれくらいですか?」

と尋ねた。

「そうですね。その長さか、それ以上です」

「俺は見本市か」

そう言いつつ、鹿乃目は目を細めた。

「あんたがそいつを探す目的は何だ」

「父親を、その、殴られたので」

ぼんやりとぼかしながら伝える。

この者たちに悪気はなくても、巻き込むと後々面倒なことになるだろう。

「父親を殴られたくらいで、そんな身なりのいいお嬢さんが一人旅はしないだろう」

鹿乃目はこちらの目をじっと覗き込んでくる。

「あんた、もしかして…」

その時、戸が勢いよく開いた。

「ただいま。洗濯終わったよ」

後髪が短くなっている。

長い前髪で目を隠しているが、それは間違いなく。

「かいえも…」

ばっ、と口を塞がれる。

先ほどまでふわふわと笑みをたたえていた顔が、無表情になっていた。

目の中に何も感情が読み取れない。

美芙由はごくりと息を飲んだ。

ナツクの方に振り返る顔には、先ほどと何ら変わらない笑顔があった。

「貝も木から落ちる?何を言っているんだろう。

長旅できっと頭が疲れているんでしょう。井戸まで散歩でもしたらきっと頭も冴え渡りますよ。

さあさ、ご一緒に」

そのまま美芙由は引きずられて外に出された。

そのまま森の方へと歩き、どん、と背中を押される。

「…誰の使いなの?君。こんなとこまでお嬢様が足を運んで、問題ないとでも思った?」

「私は、義兄の命で来ました。弟であるあなたを、今度はあんな場所ではなく日の当たる場所で迎えたいと」

「君はどう思う」

「そんなことをしたら」

世間から好奇の目で見られることは避けられないだろう。

髪の色なら坊主にしてしまえばいいが、生まれつきの目の色は変えられない。

「大体、僕が人殺しの汚名を全て被ったのは表舞台に上がる気がさらさらないからだ。

これであいつは富と名声を手に入れられる。僕は晴れて自由の身。

それでいいじゃないか」

美芙由は、唇を噛み締めた。

「…義兄様は、後悔しておいでです。父様に逆らわず、あなたをずっと暗い場所に置いていたこと。

私の母君のことも謝ってくれました。

心のまっすぐな方なのです」

「その人のために命がけで人を殺したんだ。そうでなきゃ困るよ。

それにそもそも、心がまっすぐな奴は人を殺すなんて考えに賛成なんかしないと思うけどね」

そうそう、ともう何者でもなくなった子どもは言う。

「僕はここでは円って名乗ってるんだ。次に本名を言ったら、耳にした者も含めてその場で殺すから気をつけてね」

そう言って、円は小屋へ向かって歩いていった。

木の影からコンが姿を現す。

「こんな村まで足を運んでいただいたにも関わらず、申し訳ありません」

頭を下げて、コンもまた小屋へ向かって歩いていった。


翌日、4人は朝早くから田畑の手入れのために小屋を後にした。

どうやら、円は本当にただの農民として生活しているらしい。

暗い部屋で書物ばかりを読んでいたあの子が。

真っ暗な目でこちらを見ていたあの子が。

こんなにも自由にのびのびと暮らしているのだ。

「家に連れ戻すことが、本当にこの子のためなのでしょうか…義兄様」

小屋からその風景を眺めながら、美芙由はぽつりと呟いた。

ばさばさ、と羽ばたく音が聞こえて、美芙由は腕を出す。

老丸の足に、文が結びつけてあった。

開いてみると、白紙だ。

中間報告をしろということなのだろう。

美芙由は小屋の中で、何日かぶりに文字を書いた。

『近日帰ります 美芙由』

「このまま、何も言わずに帰るのがいいわね」

自分に言い聞かせるようにそう呟く。

かたん、と背後で足音がした。

しまった、と思ったその時。

大きく開いたその口に猿轡をされ、美芙由は小屋の外へと引き摺られていった。


「フユー!おい、フユー!」

「嬢ちゃん、いるかー!」

ナツクと鹿乃目は森の入り口で声をあげる。

荷物がないので再び旅立ったのかと思ったが、それにしては様子がおかしい。

ひとまず、小屋に戻ることにした。

全員で囲炉裏を囲み、腰を落ち着ける。

「山賊ではないと思う」

ナツクはまず、そう言った。

「私が一人暮らしだから最初は何回かあったけど、何回か返り討ちにしてからは来た試しがない」

「また旅に出たんじゃないかな」

ナツクは円の言葉に首を横に振る。

「あの子の性格からして、挨拶もなしに小屋を出るのは不自然だ。小屋の前には何かを引きずったような跡もあった。

何かに巻き込まれたのか、それとも…」

「そもそもあの娘の探してる奴がやばい奴なのか」

鹿乃目はそう言って、円を見た。

ふわりと微笑んで、円は首をかしげる。

「なぜ僕を見るんです。鹿乃目さん」

「そろそろ言ってもいい頃合いだろう。お前とこの爺さんがなぜ嵐の夜に逃げていたのか。なぜあの子はお前を見た時に驚いていたのか。なぜあの子は今攫われているのか」

「言わなくていい」

ナツクは、手を膝の上で強く握った。

「円は、嵐の夜に爺さんが襲われて怪我をして、それを助けるために私の家の戸を叩いた。あの子は、父親を殴った相手を探している。私達は、突然いなくなったあの子を探し出す。それでいいでしょう」

「こいつらに随分と甘くねぇか、お前」

鹿乃目が呆れたようにため息をついた。

立ち上がり、ナツクは戸を開ける。

「最初に出会った時、あの子の上に鷹が1羽飛んでいました。それから、時々あの子の腕に留まっていた。あの鷹に聞けば何かわかるかもしれない」

「動物が人のためにそこまでするか?」

一歩外に出て、ナツクは左腕を目の前の高さに上げる。

すると、鳴き声が一声響き、空から鷹が舞い降りてきた。

「ほらね」

ナツクは振り向いて、笑った。


鷹が森の中を低く低く飛んでいく。4人は、置いていかれないよう全力で森をかけていた。

視界が開けて、土壁が現れる。

その手前で輪を描くようにして飛ぶ鷹。

「?行き止まりだけど…」

「ちょっと下がってろ」

ナツク達を下がらせ、鹿乃目は足を勢いよく回して振り下ろす。

ガラガラ、という音と共に、ほら穴の入り口が現れた。

その中に、

「フユ!」

猿轡をかまされた美芙由と、男が3人隠れていた。

「うおっ!誰だ、お前たち!」

「こいつがいた小屋の奴らだろ。いい身なりして山ん中歩いてるから体力がなくなってから身ぐるみはいでやろうと思ってたが、あいつが先に拾いやがったんだ」

指さされたナツクは肩をすくめる。

鹿乃目がため息をつきながら、一歩前に出た。

「どうもうちの弟子がお先に拾ってすみませんねぇ。ところであんたら、ただの山賊みたいだな」

「ただのってなんだただのって!」

ぎゃあぎゃあと騒ぐ小太りな男の前に、円がふわりと現れる。

「じゃあ、聞き出すことも特にないねぇ」

「え」

ドゴッ、という音と共に、コンの拳がその男の脳天に直撃する。

泡を吹いて倒れた男の隣の細身の男が体をこわばらせると、

「おいおい、お前の相手はこっちだろ」

鹿乃目の持っていた木の棒が、細身の男の頭を顔から地面に叩きつけた。

その鼻先が地面にめりこんでいるのを見て、円は微笑む。

「かわいそうに。鹿乃目さんって結構馬鹿力なんですね」

「こういうのは力のあるなしもあるが、大体が体の使い方なんだよ。

お前みたいなひょろい奴には永遠に出来ねぇだろうけどな。それに」

最後の1人が、美芙由の喉元に刀を突きつけながら叫ぶ。

「こいつの命が惜しかったら、そこの道を開けろ!」

3人が両手を上げて道を開けたのを見て、山賊は満足そうに一歩前へ出る。

そこで、はたと目を瞬かせる。

ん?

3人?

「えっと、その人を置いていったら何もしないので、そのまま離してくれませんか」

背後から聞こえたその声に、山賊はひっと声を上げて体を反転させる。

目の前に、紺色の作業着を着た子どもがいた。

「そんな訳にいくか!俺が一番に見つけたんだぞ!」

「そうですか…残念です」

ナツクは背中に隠していた木の棒を構え、目にも止まらぬ速さで相手の肘に一閃した。

手が痺れて美芙由を離した相手は、何をされたか分からないのかぽかんとしている。

間髪入れずに手首を捻り、全身を使って跳ね上げるように顎を下から強打した。

ガチン、と歯を合わせる音が鳴り響き、山賊は後ろに倒れた。

血のついた歯が何本か足元に飛んでいる。

それを見た円とコンの表情はぴしりと固まった。

「これはその…少し痛い目を見ないと分からないかなと思ったので」

ナツクは、恥ずかしそうに頭をかいている。

「こいつが一番末恐ろしいだろ」

鹿乃目が言い放ち、円とコンは黙って頷くのであった。


「ありがとうございます…!」

解放された美芙由は、4人に順番に頭を下げた。

「洞穴の入り口は塞がれるし、もう駄目かと思いました」

「この子のおかげだよ」

ナツクが指差すと、外で待っていた老丸が一声鳴く。

「この子がこの場所まで案内してくれたんだ」

美芙由は涙を滲ませて、その鷹に近づく。

「幼い頃、父が与えたもので。『この家に生まれた女子ゆえ、お前には自由がないだろう。代わりに高い空から世の中を見る鳥をやろう。お前はそんなことこの先一度もできないだろうからな』と」

「あいつ、そんな戯れ言を…」

円が顔を顰め、口の中でつぶやく。

「私は、家に帰ります。ただ、あなたにも来ていただきます。円」

美芙由は、円をまっすぐに見る。

「あの人は、生きています」

かっと円の目が見開かれる。

「美芙由、それはどういう」

「みふゆ?聞き捨てならねえなぁ。この子は縁もゆかりもない、旅人のフユだろう」

鹿乃目は出した尾を逃がさないとばかりに2人の肩に寄りかかる。

「いい加減話してくれねぇか。俺たちも少なからず巻き込まれてんだろ」

「師匠!」

ナツクは諌めるように鹿乃目を睨む。

円は、舌打ちをした。

この2人を引き込むのが、良いか悪いか判断がつかない。

「お話しましょう、円。

義兄様は、老丸の目で見つからなければあなたの匂いを犬にたどらせて探すという話もしていたくらいです。

どちらにせよ、この先このお二人を全く巻き込まないというのは無理な話。

ならば今」

美芙由は、強い目で訴える。

「わかったわかった。わかったよ」

円はため息をついて、空を仰いだ。

こんな杓子定規で真面目な奴、向かわせるんじゃないよ馬鹿兄。

「僕が、美芙由の父親を殺したんだ」

美芙由はその言葉を、噛み締めるようにして聞いている。

「そして、美芙由の父親は、東桜家前当主・東桜鳴吾郎。ここら一体の土地を納めていた領主様だよ」

ナツクの目が、大きく見開かれた。




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