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道ゆき花の歌 伍 角左衛門(完)

  • 執筆者の写真: みうらさここ
    みうらさここ
  • 2022年5月1日
  • 読了時間: 9分

更新日:2023年9月11日

幼い頃、

「かくざえもん様、みふゆでございます」

角左衛門とそう歳の変わらないその子は、自分の名前に敬称をつけて呼んだ。

綺麗な色の着物を着ているが、根は内気なのか声が震えている。

後継ぎである自分とは腹違いだから。男ではないから。

そんな馬鹿げた理由でこの広い屋敷の一室で肩身も狭くひっそりと暮らしている。

それがなんだか気に入らなかった。

「角でいい」

元々、自分の名前が好きではなかった。

父が威張るためにつけた、ただの領主にしては立派すぎる名前だ。

そう言うと、その子は頷いて「かく様」と呼んだ。

角左衛門は額に手を当てながら、

「もうそれでよい」

と言って、その子の小さな手を取った。

「お前は将来、俺の嫁になれ」

その子は首を傾げたあと、顔を真っ赤にして走って逃げた。

いつでも来て良いと言ったのに、その子が度々行くのは、地下の座敷牢だった。

座敷牢には、家ぐるみで隠蔽された子どもがいる。

目の色が人より薄い。そんな馬鹿げた理由で東桜家の地下に閉じ込められた子どもだ。

なんとなく行きたくなかったのは、美芙由が通うのが気に食わなかったせいもある。

それもあるが。

恥ずかしかったのだ。

おめおめと日の元に暮らしている自分が。

富と名声を求め続け民を苦しめる父の元で、上物を着て暖かい飯を三食用意される自分が。

「回右衛門様は、地下で書物を読んでおられます」

「書物を?」

「町の瓦版から、この屋敷の眺望、戦、政、町、村、自然。その知識は大人でも目を見張るものがあります」

ただその知識に、体験が伴わないのが残念なことですが。

そうコンは言って、再び座敷牢に戻っていった。

あの座敷牢に閉じ込められた弟がしているのだ。

己もせずして何とする。

角左衛門は書物を読み漁るようになった。

そうすると、いろいろなことが見えて来た。

村に重大な害をもたらす日照りの影響。

父の悪事。

弟の差別。

美芙由の立場。

己のすべきことが固まったその時、やっと角左衛門はその場所を訪れた。

「回右衛門」

その言葉に、細身の青年はうっそりと顔を上げた。

「俺と共に父を討ってくれ」

その目の奥に、ゆらりと何かが揺れた。

見たくもなかった光だった。


「門番には兄から知らせがいっているはずです。私が声をかけますので、円とナツクさんはついてきてください」

笠を目深に被って、円とナツクは頷いた。

美芙由はぎゅっと拳を握って、堂々とした足取りで門番に近づく。

「美芙由です。戻りました」

「これは美芙由様!角左衛門様からお話は伺っております。どうぞお通りください」

「ありがとう」

ぎぃ、と音を立てて門が開く。

頭を下げて通った後に、後ろから小さな声が聞こえて来た。

「もう後ろ盾は何もないくせに、いつまでここに居座るつもりだろう」

「角左衛門様に泣きついているんじゃないか?何でもしますからお側に置いてください、なんて」

「おいおい、勘弁してくれよ」

ナツクは足を止め、話し声のした方を睨む。

「角左衛門様が厳しく言ってくださるので少なくなりましたが、大丈夫ですよ。いつものことです」

美芙由は困ったように笑うと、迷路のような屋敷を歩きはじめた。

「でっっっっっか…」

広いとは聞いていたが、とてつもない大きさだった。

ナツクは自分の小屋がいくつ入るのだろうと考えはじめ、すぐにそれを諦めた。

「父が建て直して、こんな作りにしたんです」

円はああ、と手を打った。

「帳簿で見てその桁に愕然としたけど、なるほどそういうことだったんだ」

2人とも慣れた様子でそんな会話をしている。

「父親がいれば全て良いってものでもないんだ」

3人はそれぞれに複雑な表情を浮かべ、黙って奥の間に進んだ。

「兄上。ただいま帰りました」

「美芙由か。ご苦労。入れ」

ざっと襖が開いた。

どうやら中にお付きのものが何人かいるらしい。

そう思った時、その中に知った顔を見つけた。

「コンさん」

「ナツク殿、円様、美芙由様、ご機嫌麗しゅう」

「皆の者、少し席を外してくれるか。大切な話なのだ」

その場にいた者は皆、5人を残して部屋から去っていった。

「いつもあんなに人に囲まれて、疲れませんか?」

ナツクはなんだかこの若い領主が心配になった。

そんなナツクを見て、角左衛門は微笑む。

「大丈夫だ。幼い頃からそうだったからな」

さて、と角左衛門は仕切り直す。

「回右衛門…いや、今は円か。着いて早々申し訳ないが、早急に片付けたい問題がある」

角左衛門は、隣の間に続く襖を開けた。

そこには、誰かが横たわっている。

その姿を見た時、円の目が大きく開かれた。

「この者の今後について、皆で話し合いたい」

それは、やせ細った1人の老人だった。

角左衛門は静かに言った。

「父、東桜鳴吾郎はまだ生きている」


「あの時」

円は握った拳を震わせながら、努めて冷静に言った。

「あの時、確かに酒の中に毒を入れた。それを口にして苦しむ声もこの耳で聞いた。

渡されたものは、即死の毒だったはずだ。それが今、死んでいないとなれば」

円は角左衛門を睨みつけた。

「渡された毒が異なる物だったということになる。情に負けたのかな、角左衛門」

「あの男に情など湧くものか」

角左衛門は冷えた声で言った。

「だがな、私は父と同じ人間にだけはなりたくないのだ。

他者を踏みつけ、自分に都合のいいようにのみ生きる。

それは、父親を踏みつけてこの家の未来を選ぶのと何が違う」

「違う!」

美芙由は叫ぶように言った。

「あの男は民から富も作物も取り上げ、円を地下牢に入れたばかりか、女子しか産めぬ女は要らぬと言って、私の母を…!」

「お前の母君が心を病んで床に伏すまで夜ごと酷いことをなさっていたことは私も知っている」

ひっ、と美芙由の喉から声にならない声が上がった。

まるで恐れと嫌悪を塊にしたような音だった。

「だが、父も1人の人間なのだ。

悲しいことにこのような人間はこの世に存在する。

お前達は知らないだろうが、この国には父のような男なんて掃いて捨てるほどいるのだ。

それがこのような立場になったから、このような結果になった。

許される謂れはない。

かといって、法の下ではなく個人的な恨みでこの者を殺してしまえばこの男と同類になる。

俺には分からない。

だから、お前達に問いたい。

この者をどうすべきか」

それは、誠実だが残酷な問いだとナツクは思った。

円と美芙由は、この男に酷いことをされたのだろう。

それなのに、人道的な判断を他でもない角左衛門から任されている。

2人の顔から、汗が滴り落ちた。

「あの」

ナツクは角左衛門の目を見る。

「うむ」

民の言うことにも、目線を合わせて耳を傾けてくれる。

この人は、信頼できる。

この短い間で、ナツクはそう感じた。

「この人は、もう立ち上がれないんですか?」

「そうだな。毒は一過性のものだったからそのあとすぐに持ち直したが、不健康な生活が祟ってすぐに調子を崩して寝たきりになった。

もう1週間持つかどうかという状態でかろうじて生きながらえている」

「お話は、できますか」

「ナツク」

円は首を横に振った。

「話が通じるような人じゃない」

ナツクはすたすたと老人の方へ歩いていく。

「私の村で、酷い怒りん坊がいたんです。飛作っていう男で、怒ったら手がつけられない。

それが、病気をして村人に助けられたらこれがころっと変わって、優しい男になった。

人に頼れなかったそうです。

人一倍、臆病だったそうです。

人が怖いから、怒られる前に怒っていた。

攻撃される前に攻撃した。

鳴吾郎さんは、周りの目を気にして円を地下に隠した。

世間的に弱い立場である美芙由さんのお母さんに酷いことをしていた。

日照りに喘ぐ民から、自分は飢えないようにお金と作物を取りあげていた」

ナツクは、鳴吾郎の顔の横に腰を下ろした。

「この人は心の弱い人です。だから」

ナツクは思いきり拳を振り上げた。

「ナツクさん!」

美芙由が声を上げる。

ごつん、と大きな音を立ててナツクの拳は鳴吾郎の頭に炸裂した。

その大きな音に、4人は大きく目を見開く。

鳴吾郎を殴りつける者など、未だかつていなかった。

それほどまでに、絶対的な支配者だったのだ。こうしてぴくりともせず横たわっている今でさえ、4人の心にはそれが刻まれているのだろう。

ナツクの目には、ただの寝たきりの老人にしか見えなかった。

十分だ。

十分、この人達は苦しんだ。

自由になっていい。

もう、そこから自由になっていいとナツクは思う。

「このお爺ちゃんは、私の家で引き取ります」

ナツクは目の前の布団に横たわる老人を背負った。

あまりにも小さく、軽い体だった。

「あなた達は、もうこの人から自由になってもいいと思う」

ナツクは老人を背負ったまま、来た道を引き返し始めた。

4人は、一歩も動くことはできなかった。


「げぇ。それでそのままそいつ背負って連れて帰って来たのかよ」

「面倒は私が見ます」

頑として譲らないナツクを見て、鹿乃目はため息をついた。

「…世話は交代でやる。だが、今日と明日はお前がやれ。明後日は俺もやるからやり方を色々と教えろ」

「師匠は田畑を見ててくれればいい。私が拾ったんだから、私がやります」

「なんで俺の周りはこうめんどくさいガキばっかりなんだ」

鹿乃目はナツクの首根っこを掴んでぽい、と外へ放り出した。

そのままつっかえ棒を立てかける。

「師匠!開けてください!」

「やだね。今日はもう寝ろ」

「寝ろったって外でしょうが!」

「暖かいから大丈夫だ。昔お前と山でよく野宿しただろ。その要領でやれ。

ほら、満天の星がお前を待ってるぞ」

「だーーー!分かりましたよ!今日は寝ます!寝ますから!せめて上がけをください!」

一瞬戸が開けられて、ぽいと上着が放られる。

その隙にナツクは足を捩じ込もうとしたが、そんなことはお見通しとばかりに鹿乃目はナツクを蹴り飛ばして再びつっかえ棒をかけた。

「ほら、上着は渡したぞ。ガキは早く寝ろ」

「ば、ばかやろー!」

照れと悔しさがない混ぜになって、ナツクはどしどしと足音をたてながら森へ向かった。

その足音が聞こえなくなって初めて、鹿乃目は息を吐く。

「さて、と」

目の前に横たわる老人を、頬杖をつきながら観察する。

「おい爺さん。聞こえてるんだろ。返事しな」

ぴく、と手の先が動いた。

どうやら指の先くらいは動かせるらしい。

「お前さんこれまで悪事を働いて最後になって寝たきりになって、実の子どももどうしたらいいか分からねえって言ってたみたいだけどな、

物好きな奴が看取ってくれるってよ。

こんな田舎で悪いけど我慢してくれ」

老人の目から、何かがこぼれた。

「なんだ、泣いてんのか。しょうがねぇな」

とりあえず、粥でも作るか。

鹿乃目は立ち上がり、袖を捲った。


屋敷では、静かに時が過ぎていた。

角左衛門がかろうじて口を開く。

「…コン。あの者は何者だ」

「村の農民でございます」

コンは、しっかりと角左衛門の目を見ながら答える。

「村が日照りにあった時、東桜家は納める作物の量を減らさなかった。

それが原因であのような凄惨な事件も起こったのではなかったか」

「ナツクは」

円は声を絞り出すようにして言葉を紡いだ。

「ナツクは、あの男の子どもなんだ。爆竹を巻きつけて東桜家の門に走って死んだ男の、子どもなんだ」

「あの子はそれを知っているのか」

円は首を横に振った。

「でも話を聞いたら薄々は気づくはずだよ。ナツクの母親がナツクを産み落とす時に身をやつして亡くなったのも、それが元で父親が心を病んだのも、全部、あいつのせいだって」

「私は、今からでもあの男を殺すべきだと思います」

美芙由は静かにそう告げる。

「私の母の心が死んで、貧しい民が死んで、なぜあの男が生きているのですか。

なんでこんなに私達は、あの男のために苦しみ続けているのですか。

もう嫌だ。もう、疲れました。

ここで、お終いにしましょう。だから」

「だからあの子は、背負って帰ったんだ」

円は美芙由と角左衛門をまっすぐに見て言う。

「僕たちにもう、自由になって欲しかったんだ」

「だって。それじゃ、ナツクさんは」

「そういう子なんだよ」

青空の下の、あの笑顔を思い出す。

「そういう子なんだ」


一年後。

桜が舞う頃、4人の旅人が村を訪れた。

小さな小屋の前に、人影が2人。

その小屋の中に横たわっていた老人の姿は今は見えない。

旅人の中の1人の娘が、泣きながら少女に抱きついた。

少女は微笑んで受けとめてから、旅人を迎える。

「おかえりなさい」


道ゆき花の歌 -完-




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