道ゆき花の歌 弐 鹿乃目
- みうらさここ

- 2022年5月1日
- 読了時間: 8分
更新日:2023年9月11日
序
十代の頃、鹿乃目は幼い頃から通っていた道場を破門にされ流れ者になった。
理由は、女関係が派手なことだった。
そんなことかと半ば拍子抜けしながら、鹿乃目は道場を後にした。
各地で女の家に世話になりながら、道場に乗り込んでは強い者を蹂躙して倒す。それだけが楽しみだった。
だが、己より強い者はいなかった。
非常に残念なことだった。
道中でとある村を通ろうとした時だった。
まだ年端も行かない子どもが、自分の身丈の2倍はある鍬を振り上げ、畑を耕していた。
「おい」
鹿乃目の声に反応することもなく、ただただ鍬を振り上げ、おろす。
「聞こえてんだろ」
子どもがこちらを振り返る。
その目を見た時、鹿乃目は眉を顰めた。
まるで人形のような瞳だった。
そこに、ただあるだけ。
何も見ていない。
「お前、そのままやってたら日が暮れちまうぞ」
「明日の朝までやるからいい」
そのまま目の前の土に目を戻し、鍬を振り上げる。
村のお福という婆さんに聞いたところ、どうも最近父親を亡くしたらしい。
なんとなく気になって、暗くなってから畑に向かう。
やはり、そこにいた。
変わらずに、鍬を持ち上げては振りおろしている。
鹿乃目はため息をついた。
こんな目をした子どもは苦手だ。
まだ大人を舐め腐っているような、生意気なガキの方がマシってものだ。
「おい。人形」
子どもが振り返る。
その目に、鹿乃目は刀を突きつけた。
「俺が剣を教えてやろう」
「剣で腹は膨れない」
「ああそうさ。だがお前、この畑が大事なんだろう。もし山賊に襲われたらどうするんだ。ひとたまりもないだろ」
子どもは首を傾げた。
「別にいい」
「お前、取られて困る物ねぇのか」
「ない」
即答だった。
鹿乃目は頭をかいた。
「じゃあなんで、そんなことやってるんだ」
「やらないと死ぬ」
「めんどくせぇな」
子どもの手から、鍬をひょいと取り上げる。
「お前が弱いからこれ取り返せねえじゃねぇ、か」
はらり、何かが落ちた。
それが自分の前髪だと分かった時、瞬時に鹿乃目は後ろに下がった。
こいつ。
俺の腰の刀を瞬時に抜いて切りつけやがった。
「誰かに教わったのか」
「違う。見てた」
そう言ってその子どもは、鹿乃目を指差した。
「あなたの素振りを見てた」
ほう、と鹿乃目は片眉を上げた。
こいつはなかなかいいかもしれない。
「これから、俺はしばらくお前の家に世話になる」
「なんで」
「まあ聞け。力仕事は引き受けるし、自分の飯は自分で何とかする。
そのかわり、お前は俺に剣を習え」
子どもが首を傾げる。
「なんで」
鹿乃目は目にも留まらぬ速さで、鍬を使って刀を弾き飛ばした。
宙に回る刀が月の光を反射してきらきらと輝く。
それを見る子どもの目の奥に、少しだけ、何か揺らぐものが見えた。
「お前も少し鍛えればこれくらいできるようになるぞ」
「畑を耕してくれる?」
「ああ」
「水汲みは?」
「いいだろう」
「じゃあ、いいよ」
こうして2人は、約束をした。
今からもう、十年ほど前のことだ。
一
「だっかっら、違いますってば!」
「いや、だからこいつとあれやこれやして夫婦になったんだろ」
「これには深い訳が…!」
「へぇへぇ、海よりも谷よりも深い仲になったんだろ」
「だーかーらー!」
勢いよく掛け合う2人を見て、コンは申し訳なさそうに、円はどこ吹く風で茶をすする。
「あ、茶柱立ってる」
「円からも何か言って!」
円はふわりとした笑みを浮かべて言った。
「ひみつの仲です」
頭を抱えるナツクと、さらに突っつき回す鹿乃目。
変わらずにこにこと茶をすする円。
コンは青い空を見上げた。
神様仏様、わしはどうしたらええじゃろか。
◇◇◇
そもそもは、長髪の男がナツクの家の前で寝ていたところから始まった。
コンはすぐに、円を起こした。
「追手かもしれません」
「でも、のんきに寝ているよ」
「わしが出て様子を伺います」
コンはわざとガタン、と音を立てて戸を開けた。
「何か用かね」
男が目を擦りながらあくびをする。
そして開口一番、
「お前が、ナツクの旦那か」
そう言ったのだった。
「大体、師匠も師匠で分かりづらいんですよ。前は何時だろうが戸を叩いて起こしてくれてたじゃないですか」
「夫婦の夜を邪魔しちゃ悪いかな、と」
ナツクは何か言い返そうとして口をぱくぱくさせたが、ため息をついて蒸した芋を差し出した。
「色ボケ師匠にはこんなものしかありませんがどうぞ」
「嘘つけ。あいつは米食ってるだろう。米があるなら米を出せ」
「もったいなくて手をつけられないんですよ!」
「じゃあ何か、お前旦那には米食わせて自分は豆芋食ってんのか」
「真っ白いんですよ!白い米なんて恐ろしくて食べられません!」
「これだから田舎者は!」
鹿乃目はがっとナツクの袖を捲り上げた。
「嗜虐趣味はねぇみてぇだな」
ナツクはぴくぴくとこめかみを動かし、ついに鹿乃目に殴りかかった。
「こんっの、馬鹿者ーーーー!」
そんな師弟のやり取りを、2人は朝食をとりながら見ていた。
「ナツク、楽しそうだね」
円は米をはみながらにこにこと見守っている。
「そうですなぁ」
ふと、やりとりの途中ナツクが足首を押さえる。
「あいたたた…」
「どうした、熊とでも戦ったか」
そうからかいつつ、鹿乃目はしゃがんで足首の様子を見る。
少し捻った程度だろうが、素早く動かすと痛むのだろう。
「街から帰る途中の岩場で足を滑らせたんですよ。なんだか岩の感触が違って」
「岩の感触が違う…?」
「なんだかぬめぬめしてたんです」
鹿乃目はへえ、と呟いて、のほほんと茶をすする円を横目に見た。
二
月明かりが照らす池の岩場に、鹿乃目はどっかりと腰を下ろす。
「こんばんは」
音もなく現れ、隣に立ったのは円だった。
「この場所は俺のお気に入りだが、今日は特別に貸してやる」
「ありがとうございます。では、お言葉に甘えて」
円が隣に腰を下ろすと、鹿乃目はじい、とその横顔を見た。
「お前、前髪が鬱陶しいって言われないか」
「よく言われます。鹿乃目さんも左側が長いですね」
「俺は元々こっち側見えねえんだよ」
「そうですか。ご苦労されていますね」
円は愛想良くにこりと笑う。
鹿乃目は、水面に揺れる月を見た。
「お前によく似た奴を知っている」
ぴくり、と円の口の端が動いた。
「いい家の子どもでな。目の色が生まれつき人よりも薄いから、体裁を気にする家はその存在を隠している。
兄貴が1人いたな。あいつ、今頃困ってるんじゃねぇか。帰ってやらねぇのか」
「今僕が帰ったら、それこそ兄の思いを踏み躙ることになります。
僕が影を背負って消え、兄が日の道を歩く。周囲の反応を考えても、この形が一番効率的なんです」
円は首をゆっくりと傾けた。
髪の隙間から、栗色の目がちらりと覗く。
「岩に工作したのもお前だな」
鹿乃目の言葉に、円はふわりと頷く。
「消えてもらった方が都合が良かったので。
今は、助かっています。村人と関係を築きながら疑われずに生きる術なんて、僕らは持ち合わせていませんから。
というか鹿乃目さん、僕の正体に気づいてるじゃないですか。殺しますよ」
「できるもんならやってみろ。悪いけどな、こちとら人間相手なら負けたことなんか一回もないんだよ。
それこそ、この酒に毒でも盛ってみればいい。例の奴みたいにびくびく体を跳ねさせながら死ぬかもしれねぇ」
2人の間に、冷たい風が吹いた。
長い沈黙の末、円は口を開いた。
「仮にそうだとしたら、貴方が僕を生かしておく理由は何ですか」
「あいつが何も聞かねぇからだ。あの家の主は俺じゃねぇ。俺には口出しをする権利もねぇ。
出来るのはせいぜいからかって遊ぶことくらいだ」
鹿乃目は立ち上がった。
「もういいだろ。別にこいつのことは誰にも話さねえよ。
そこにいるんだろ、爺さん」
木の影から、コンが姿を現す。
円は微笑みを浮かべてすっと手を横に引いた。
コンは頭を下げると、音もなくその場から去った。
「鹿乃目さんが僕たちにとって都合の悪い人だったら、コン爺が仕掛けた爆薬で岩ごと体を木端微塵にする予定だったんだ」
「へえ。火薬が俺の体を吹き飛ばすのが先か、俺の刀がお前の首を飛ばすのが先か。
今度やってみるか」
鹿乃目は心底興味なさそうにそう言うと、思い出したように尋ねた。
「そういえば、あいつの家を隠れ家に選んだ理由は何だ」
「人が良さそうだったから。
村人といい感じでやっているし、他人に裏切られたことなんかなさそうだし。善良な心を持っていそうじゃないか」
鹿乃目は円を見下ろした。
「お前、人を見る目がねぇな」
ふふふ、と円は口元を隠して笑う。
「鹿乃目さんこそ、どうしてあの子に剣を教えたんですか?」
「将来俺より強くなるかもしれないと思ったからだ」
鹿乃目は即答した。
「本当に、それだけですか?」
「あとはまぁ、あいつの目がガラス玉だったからだ」
「ガラス玉?」
「自分じゃなく、誰かの物差しに囚われて生きている人間だよ。今のお前みたいにな」
そう言って、鹿乃目はその場を後にする。
残された円は表情を変えずに、足元の枝を音を立てて踏み折った。
三
「なんじゃこりゃ」
ナツクは目の前の惨状を見てそう呟いた。
床にはいくつもの酒瓶。
布団につっぷすようにして寝ている鹿乃目。
それに並んでつっぷすようにして寝ている円。
そして申し訳なさそうなコン。
「昨晩は池でお話をされていたのですが、どうやら飲み比べをして勝負することになったようで」
「どうしたらそうなるんですか」
「どちらもお強いので明け方まで続きまして、同時に倒れられました」
「なるほど」
ごん、と鈍い音を響かせ、ナツクは2人の頭に拳骨を落とした。
「痛っ…まだまだぁ…」
「次の瓶はまだですか…僕はもう飲み干しまし…た…」
ナツクは手拭いを頭にしばると、コンに頭を下げた。
「私は畑に行くので、2人をよろしくお願いします」
「承知」
コンはちらりと2人を見ると、ため息をついて水を汲みに井戸へ向かった。
余
ちりん、と鈴の音が響く。
上空を旋回していた鷹がふわりと下降して、少女の腕にとまった。
少女は笠をあげて、丘の上から村を眺める。
「本当にここにいるのね、老丸」
少女の問いに答えるように一声鳴くと、鷹は再び上空へと舞い上がった。



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