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赤い耳 2章 JANNET

  • 2022年4月30日
  • 読了時間: 12分

更新日:2023年9月11日

1.絡まる糸

「あの新人が、セルガの世話役になったぁ!?」

こいつは、ボサボサの青い髪で目を隠す、いつもツナギ姿のジゼル。

そいつの口から、信じられない言葉が飛び出した。

「自分の目で確かめてこいよ」

走ってセルガの部屋の前に向かうと、ちょうどセルガの部屋から2人揃って出てくるところだった。

「ちょっとあんた、セルガの世話役になったってほんと?」

灰色のベストを身につけた黒装束の少年が、こくりと頷く。

ロン、とか言ったっけ。

「私が頼んだんだ。最近、色々ガタが来てるしな」

セルガが、ロンを庇うように間に立った。

それがなんだか、無性に腹立たしかった。

「私がいるじゃない!」

「お前はもう服飾の仕事があるだろ。こいつも独り立ちする頃には、また他に手を考えるさ」

ロンは、とまどった表情を浮かべてただ立っている。

「私は、認めないから」

きっと睨みつけると、困ったように肩をすくめた。


2.つぎはぎ

今日の朝食は、スープ、サラダ、パン。

裏に自分でよそいに行き、店の開店前に手早くすませるのがここの決まりだ。

セルガとロンが食事をとっている背中を見つめながら、ぎりりと歯を食いしばった。

「なんでそんなに目の敵にしてるんだ」

ジゼルがため息をつく。

「お前もここに来たばかりの時は、ああやってセルガさんの手伝いから始めてただろ」

「だからよ。なんであんなポッと出の新人にあの場所を取られなきゃいけないの」

苛立ちを紛らわせるようにスープを一口飲む。

今日もこの店のまかないはあたたかくて美味しい。

「お前もフリーさんも、セルガさんのことになるとなんか変だよな」

「ちょっと、あいつと一緒にしないでよ」

「俺から見たら似たようなもんだぞ」

ジゼルはフォークをレタスに刺し、ゆるゆるとドレッシングに浸した。

ほれ。と、目の前にレタスを差し出される。

「んぐ」

やはり、この一品も美味しい。

「腹を満たして一仕事すりゃ、少しは落ち着くだろ。お前が壊した机の修理があるから、俺はもう片づける」

「手が滑ったのよ」

「手が滑って机にスプーンは突き刺さらないだろ」

じゃあな、とゆるりと片手を振って、ジゼルは自室に戻っていった。


3.糸とハサミと一枚の手紙

「ジャネット。ちょっといいか」

セルガに声をかけられたのは、町娘に頼まれた普段着を仕上げた夕方のことだった。

「今度隣町で社交パーティがあるんだが、そこに行ってやって欲しいことがあるらしい」

舞踏会やお茶会などに出て、情報を掴んでくる類いのものだろう。

何度か経験がある。

「潜入ね。報酬は?」

「フリーが隣国で見つけた珍しい織物」

「のった!」

フリードリヒは、海外を駆け回るビジネスマンだ。

どんな小さな国に行っても、フリー商会という名前を知らない人はいないだろう。

あらゆるものに価値をつけ、

あらゆるものを手に入れ、

あらゆるものを提供する。

その彼が珍しいと言ったのだ。

どんな織物なのだろう。

「報酬した場合は忙しいから郵送になるらしいが、了承してくれた場合はこの書類に印を押してから詳細が書かれた手紙をよく読むように、とのことだ」

「はいはい。

…『私はこの仕事を、文句を言わず全うします』…?

なにこれ、こんな契約書書いたことないわよ」

ペンを走らせ、手紙を開封する。

『親愛なるジャネットへ

報酬は気に入ってもらえたかな?

君には、次の満月の夜に隣町のドビュッシュ伯の館で開かれるパーティに参加してもらいたい。

ドビュッシュ伯に近づき、さりげなく彼が身につけている石を手に入れたルートを覚えてきて欲しいんだ。

彼の身につけているものの中に赤い鉱物があった場合、やっかいなことになる可能性があるからすぐに報告してくれ。

追伸:これはロンと2人で組む仕事だ。彼は社交場にうとい。よろしく頼むよ』

「やられたァァァーーーー」

ジャネットは封筒を床に叩きつけた。


4.初めての共同作業

当日。

ロンは礼儀正しく頭を下げた。

「…よろしく」

挨拶はちゃんとできるらしい。

「セルガから聞いてると思うけど、今日の流れを説明するわ。

私の部屋で着替えて、馬車で会場に向かう。

会場に着いたら、さりげなくドビュッシュ伯に近づいて彼が身につけてるものを手に入れたルートを聞く。

赤い鉱物があったら要注意。OK?」

不安そうに、こくりと頷く。

「…僕、ダンスとかできないけど」

「貴族のパーティだからって、みんながみんな踊る訳じゃないのよ。

今回は社交目的が強いから、演奏はあっても飲みながら立ち話するくらいでしょ」

本当は嫌だけど、仕事だからしょうがない。

「入れば」

ロンは一歩入った後、ぱちぱちと瞬きしながら部屋を見渡している。

壁には作りかけの服、服、服。

真ん中にある机に、ミシンと裁縫道具が一式。

特殊な布でふわふわにしたベッドと、植木鉢に緑が少し。

「なによ。なんか言いなさいよ」

「服を作ってるの?」

「見りゃわかるでしょ。私の家は王国おかかえの服飾一家で」

長く見える明るい髪の毛をひっぱった。

ばさりと落ちる、それ。

ロンの目が大きく見開かれる。

「俺はそこの、四男だよ」


5.本当の名前

「…男の子だったんだ」

「別に、男でも女でもどっちでもいいだろ。

ドビュッシュ伯は明るい髪じゃなくて、黒髪がお好きなんだとよ」

クローゼットの奥から、黒いロングヘアのカツラを出す。

黒は、あまり好きじゃない。

嫌なことを思い出すから。

「俺の燕尾服でたぶんいけると思うんだよな…ほら、着てみろ」

合わせてみると、ちょうどぴったりだった。

少しゆとりがあるくらい。

「お前、俺が言うのもなんだけど細っこいな…

ちゃんと飯食えよ。セルガが気にする」

「わかった。ありがとう」

「べ、別にお前のためじゃねえよ。赤い耳に入って体調崩したなんて言われたらうちの評判悪くなるだろ」

急いで自分のドレスを選ぶ。

「んー…白は目立ちすぎるし、これはちょっと庶民派なんだよなー…こっちのピンクかな」

「女物は選ぶの大変だな」

「カラーコードとか、会場によっては暗黙の了解とかあんだよ。

今回は特に指示がないからいいけど、空気は読むにこしたことねぇだろ」

『ウィルは本当に男性の衣装を上手に作るわねぇ。今度王子様に見てもらいましょう。

レーンとサイラスも、腕が上がってきたじゃない。もう少しで見てもらえるようになるわ。

ジャンは…』

『ジャンは、ドレスが向いてるみたいだね』

『お前、まだ黒のスーツも作れないのか』

『やめなよ、兄さん。ジャンだって頑張ってるんだから』

『今は王家に女性がいないから、ドレスなんて作っても意味はないと何度も言ったじゃないか』

『あなた、なんてこと…!」

「…空気は、読むにこしたことはないんだ」

「…?」

「なんでもない。ほら、後ろ向け。小さい汚れがあると足元を見られる。ブラッシングだ」

小さい汚れがあると、足元を見られる。

小さい汚れが降り積もると、いつかそれは。

泥水になって、心からこぼれ落ちるんだ。


6.馬車が運ぶ月道中

「…」

「お前、世間話もできないの」

「うん」

「認めるの早いな…」

ため息をついた。なんとなくこの新人、一緒にいるとこちらの調子が狂ってしまう。

「ジャネットは、どうして赤い耳に」

「デリカシーって知ってる?」

「知らない。なにそれ。美味しいの?」

「…しょうがねえな」

生まれ落ちたのは、王族の服を代々仕立てるデザイナーの血筋、アーカード一家だった。

数々の衣装を手がけてきた父。

若くして立派な男性ものの服を仕立てて才能を認められる兄たち。

「お前たちは優秀だな。そのまま励むといい。だが、ジャン。お前は…」

でも、俺が、好きなのは。

ビーズで彩られたドレス。

町娘が着ている、ふんわりしたスカート。

心を明るくしてくれる、あたたかい色。

「なんでこんなものを作るんだ!」

「あなた、やめて!ジャンが心を込めて作ったものじゃない!」

「きちんとしたものを作れないやつは、私の子どもじゃない。生んだ意味がない」

「なんてこと…!」

ビリビリに裂かれ、暖炉で燃やされるドレス。

なんで俺は、男に生まれてきたんだろう。

なんで俺は、父の望みを叶える優秀な兄たちと同じ家に生まれてきたんだろう。

なんで俺は、こんな人たちに頼らないと生きていけないんだろう。

なんで。

なんで。

なんで。

ある日、ぷつりと心の糸が切れる音がした。

「母さん。俺、ここを出る」

「そんな…この家を離れて生きてなんかいけないでしょう。考え直しなさい」

「それは、母さんがそう思ってるだけだろ」

「ジャン…?」

「この家で耐えて生きる、仲間が欲しいだけだ」

あまり心の強い人ではなかった。

誰かに頼らないと、生きていけない人だった。

でも、俺は。

俺は違うんだ。

ごめんなさい。母さん。

「どこでもいいんだ。どこでも。

どんなに酷い目にあったっていい。

それでも俺は、俺が好きだと思うものを作りたい」

「なに言ってるの…?ジャン!

戻りなさい、ジャン…!ジャン…!」

「ごきげんよう、ミセスアーカード」

そして俺は、俺の作った服を着て、街に出かけた。

「あの子、どうしたのかしら…短い髪で化粧もせず。ドレスなんか着て」

「よく見たら、少年じゃないか…?」

「あのアーカード家から出てきたみたいだけど。どこへ行くのかしら」

ざわざわと、人が騒いでいるのがどこか遠くに聞こえた。

どこでもよかった。

なんでもよかった。

俺をありのまま受け入れてくれれば。

「おい、大丈夫か」

その時だった。

彼女と出会ったのは。


7.そのままでいい

「…だから、セルガさんの世話役続けたかったんだ」

ロンは納得したように頷いて、興味がなくなったように窓の外を眺めた。

「…その。悪かったな」

「…?」

「こんな話聞かせて。

気持ち悪いとか、気色悪いとか。

よくわからないとか、思うだろ」

ロンは少し考えたあと、

「…ない。それが全部で、あなただから」

そう言って、目を閉じた。

すぐに穏やかな寝息が聞こえた。

「…変なやつ」

窓の外に広がる、星空を見上げた。

黒は苦手だった。

黒いスーツも仕立てられないのかと怒られるから。

男物は暗い色が多いから。

だけど、こいつに会ってなんだかやっと、

黒い色も悪くないと思えた。

空の闇は、静かに2人を見守っているようだった。


8.潜入

「つきましたよ」

御者の言葉に、はっとした。

なんだか眠くなるような、ずっとここにいたいような、

そんな気持ちがさっと引いていく。

扉から漏れる眩しい光。

笑い声。話し声。本当かどうか怪しい噂話。波風立てないご機嫌伺い。

久々のあの空気だ。

「起きろ」

「ついた?」

「おう」

ばしっと新人の背中を叩き、背筋を伸ばして一歩踏み出す。

「お前は下手に話すな。俺に合わしとけ」

「あら、見ない顔ねぇ」

年配のご婦人が、さっそく話しかけてきた。

「フリー商会の紹介で参りました、ジャネットと申します。こちらはロン。

ドビュッシュ伯はどちらに?」

一礼して尋ねると、どうやら奥の方で女性に囲まれてお楽しみのようだった。

「おやおや、フリーくんが代わりによこしたの君かね。こりゃ可愛い子が来たもんだ」

四、五十代だろうか。ふくよかな腹をゆらしている。

一礼した後、伸ばされた手をにぎった。

社交場において、笑顔は最低限のマナーだ。

こんなところで警戒されるわけにはいかない。

「はじめまして。ジャネットと申します。

この度はうちのボスが出席できず申し訳ありません。

よろしければ、この席に座らせていただいても?」

「いいともいいとも!大歓迎だよ」

ちらりと宝石で飾られた左手を盗み見る。

青、白、黄、緑。

…赤。

ロンに目配せすると、小さく頷いた。

しばらく世間話をしながら、酒を勧める。

気が緩んだと確信できた頃、本題を切り出した。

「実は私、宝石に目がないものでして」

「おや、今日はつけていないのかい」

「あまり言いたくないのですが、あまり贅沢はするなと、父がうるさいんです」

「若いうちはしょうがないね。資産のある家の者と結婚するといい。きっと宝石も選び放題だ。

…例えば、私のような」

思わせぶりに光らせた目に気づかないふりをして、話を続ける。

「左手の指にはめられている宝石、あまり見ない石ですわ」

ドビュッシュ伯は、自慢げに石を撫でてみせた。

「これは内緒の話なのだがね、私の左手についている宝石は皆、秘密裏に手に入れたものなんだ」

「どちらで手に入れられたんですか?」

「青は、ホンル。白はリリアーナ。黄色はジャンゴラ。緑はラカンティダ」

「赤い石は…?」

「これは、言えないな。あるルートから手に入れたんだが、今は非常に希少なものなんだ。

少し前までは流通していたんだが、急に取れなくなってしまってね」

すごい!と手を叩いてみせると、ドビュッシュ伯はそうだろう、そうだろうと頷く。

「ありがとうございます。大変参考になりました。私も何か手に入れようかしら。

あら、こんな時間。そろそろ失礼致します」

「待ってくれ。これも何かの縁だろう。もう少し飲んでいかないか」

すっと、息を吸った。

「あら、ドビュッシュ伯!大変、お顔が真っ赤ですわ!」

「え?」

「誰か、誰か!ドビュッシュ伯が気分が悪いそうなの。休憩室に連れて行って差し上げて」

「私はこんな量で酩酊など…おい!こら、離せ!私はこの娘と…」

小さくなっていくドビュッシュ伯に向け、

にっこりと笑って、一礼した。


9.帰宅

「あんっっっのエロ親父、周りに気づかれないようにえっろい目でじろじろ見やがって!!」

閉店後、静まり返った店の中。

床に叩きつけられた黒いカツラは、まるで海藻のように地面に広がっている。

「全然気づかなかった」

「本当に目玉2つついてんのか!?やってられっかこんな仕事」

「もう猫かぶるのやめたのか」

眠そうに目を擦りながら、店のカウンターにいたのはジゼルだった。

「なんで起きてんだよ」

「木製家具は定期的に手入れがいるから、あそこもここも、と始めたら止まらなくてだな…」

そういえば、少し独特な匂いがする気がする。

何か塗っていたのだろう。

左手に、バケツとはけを持っていた。

「お。ロン、だったか。夜中までよく頑張ったな。

俺はジゼル。色んな物の修理を生業にしてる。よろしくな」

「…はい」

ロンは、おずおずと手を差し出した。

ジゼルはしっかりと、その手を握った。

「なにかわからないことがあればいつでも聞いてくれ」

「このモヤモヤをどうしたら吹き飛ばせるのか、今すぐ俺にも教えてくれよ」

「心配しなくても、あの方はすぐ警察に捕まるよ」

暗闇の中から、白い影が現れた。

「フリー。なんでこんなとこいるんだよ。取引はどうしたんだ」

「早く終わったから寄ったまでさ。

報告書、読ませてもらったけれど、どれも違法にやりとりして手に入れた宝石ばかりだ。

特に、あの赤い石」

鈍く光る、赤い鉱物。

「あ。あれ、セルガが耳につけてるやつと一緒だろ。入手ルート聞き出せなかったけどよかったのか」

「これだけ怪しい情報が揃えば、綻びを見つけて炙り出すさ。

あの石に手を出したことが運の尽きだ」

フリーはグラスに水を汲んでジャネットに差し出すと、隠れ階段に消えて行った。

「あいつ、セルガの顔見に来たんだ。気にいらねぇ」

「毎日忙しいんだ、幼馴染の顔くらい見たくなるだろ」

ロンが不思議そうな顔をした。

「幼馴染?」

「フリードリヒさんとセルガさんは、小さい頃から一緒に暮らしてたらしいぞ。

フリードリヒさんのお父上が商会のボスだった時は、お父上から無理難題をふっかけられて2人で世界を旅していたらしい」

「2人で世界を…」

へえ、と言った後、ロンは少しだけまつげを伏せた。

「あの異常者が優しい幼馴染だと思ってんなら、お前の目は節穴だ」

「お前は、少しフリードリヒさんに厳しすぎないか…」

「…とにかく!ここまで起きてたんだ。2人とも朝まで付き合え。

なんか美味いもん食ってパーっと忘れてやる」

「俺はもう寝たいし、それを作るのは俺だけどな」

ふんっと鼻を鳴らして、冷たい水を一気に飲んだ。

黒と青に挟まれる、

こんな夜も、悪くないと思った。



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