雨と肺
- みうらさここ

- 2022年5月1日
- 読了時間: 2分
更新日:2023年9月11日
ビルの外階段の踊り場。
我が社の愛煙家にとって、つかの間の楽園である。
煙を吐きながら、体の力が抜けていくのを感じた。
命が縮まろうがどうでもいい。
この煙で肺を満たして、今、この瞬間が満たされていればいい。
そのままなんとなく、向かいのビルの屋上に視線を投げる。
「あ?」
私は、思わず口から煙草を落とした。
雨の中、一人の少年が動いている。
風邪ひかないのかな、とか、滑って転ぶと危ない、とか、酸性雨は頭皮に危ないぞ、とか。
そんな考えはどこかに吹っ飛んでしまった。
踊っていると言うと、なんだかしっくりこないその動き。
雨粒ひとつひとつを感じ取って、綺麗にはじいている。
私は手すりにもたれ、頬杖をついた。
まるでこの世の息苦しさとは無縁の場所にいるような。
白と黒と灰の世界で、その少年の世界だけがみずみずしく色づいているような。
「あっはっは」
「そんな馬鹿な」
がやがやと社員の笑い話が聞こえて、足音が近づいてくる。
急いで足元の煙草を、携帯灰皿に放り込んだ。
すう。
なんてことない平凡な空気を、肺に送る。
たんたん、と音を立てながら階段をくだり、右手をそっと屋根の届かない空間に伸ばす。
ぱたん。ぽつり。ざあ。さあ。ぴちり。
雨ってこんなだっけ。
こんなに綺麗で。
カラフルだったっけ。
あの子の生きるこの世界は、こんなにも豊かなのか。
まばたきをして、もう一度屋上に視線を投げる。
少年はもう、いなかった。






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